DJ西尾のひとりごと|日常はプチハッピーにあふれている♪

9つの職歴

こんにちは、DJ西尾です。

社会人として初めて働いたのは「衆議院議員会館の食堂」でした。4か月勤務しましたが、辞めるキッカケは「歌手になる」でした(笑)

2つ目は「茅場町のカフェ」。食べてくれる人の喜びを感じていましたが、音楽活動とのバランスが取れずに身体を壊して2年で退職。

3つ目は「東京ディズニーランド運営キャスト」。アトラクション5つを担当し、ファミリーエンターテインメントの向き合いが楽しくて7年勤務し、ライブハウスからのお誘いがあり退職。

4つ目は「下北沢のライブハウス」。食事と音楽で満たされる空間を演出するコンセプトで、自分も2回ほど出演しましたが、食事を必要としないバンドのブッキングばかりで、接客が必要でなくなり4か月で身売り。

5つ目は「幕張のリゾートホテル」。ベルボーイとして「ストレスのない非日常な街」をコンセプトに、訪れる方々のお手伝いさせて頂き喜びを感じていましたが、Jリーグ開幕に合わせて開店するグッズ店に仲間から誘われて2ヶ月で退職。

6つ目は「日本テレビサービス」が運営するヴェルディクラブショップ「ヴェルディーノ」
アルバイト2年、店長になって契約社員3年、正社員になり出向でヴェルディ職員も3年。その後、日テレスポーツ局・営業局・イベント事業局などの企画運営で14年在籍。
「筋書きのないドラマ」のスポーツエンターテイメントと「準備と決断でやり切る」といった非日常なエンターテイメントを関係者として経験させて頂きました。

7つ目は、子会社の業務編成に伴い「日テレイベンツ」に転籍。来場者とクライアントの満足度を高く叶えるイベント運営を遂行する事で、スタッフ育成の特異性を感じ、その部門をさらに磨きたくなり1年で退職。

8つ目は、イベント会社でMC・運営管理・人材育成をしていましたが、人生で初めて兄からの要望で「父親の介護を一緒に」と言われ、介護中心の生活にシフトチェンジ。

9つ目は、生前の父親が「やりたい事が明確なら、自分の責任でトライしてみろ」と息子達に言っていたので、2020年「Nマジック株式会社」を代表取締役として設立。

 

生前の母親からも「仕事がある事に感謝しなさい」と笑顔でよく言われ、9つの職場において、どんな仕事でも有難く本気で熱く向き合って来ました。結果的に、たくさんの人に助けて頂いたと思っています!

これまで「西尾光夫」と出会ってくれて、ありがとうございます。

 

転職は悪い事ではないし、自分と携わる仲間の「心と身体が健やか」である環境が得られるなら決断して良いと思います。

今は1人会社ですが「西尾光夫と携わりたい」⇔「Nマジック株式会社で働けて良かった」と感じ続けて頂ける人との出会いが、この先たくさんあるように、引き続き「今を大切に」して向き合って行きます♪

 

こちらもよく読まれています!